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*出身地 [#a120b8d4]


*コメント [#wc45ca3a]
- ふむさんの理想をお書きください。 -- [[kawabata]] &new{2014-01-06 (月) 09:12:33};
- •花美千は、次は気高系でしょう!第14茂 は、糸桜の貴重 -- [[ふむ]] &new{2014-01-07 (火) 20:41:27};
- 隆之国は、次は田尻系でしょう -- [[ふむ]] &new{2014-01-07 (火) 20:45:28};
-  洋紀久は、次は糸桜系だな!はやく次の種雄牛を模索する必要あり糸桜たとえば第1花国かな宮崎の事業団 -- [[ふむ]] &new{2014-01-07 (火) 20:54:19};
- ↑次は田尻スパー種雄牛!以下のように5年10年先を先見する必要があるのめでは -- [[ふむ]] &new{2014-01-07 (火) 21:00:00};
- 幸紀雄がいいというのは、肉牛ジャーナルで見たり周りの人から聞きました。実際に長崎の市場でも少しずつ出ていますが、高値で取引されています。いくら離島の五島とは言え情報はいくらでも入って来ます。これでよろしいでしょうか。 -- [[五島の平茂晴]] &new{2014-03-31 (月) 22:44:19};
- 幸紀雄がいいというのは、肉牛ジャーナルで見たり、周りの人から聞きました。実際に長崎の市場でも少しずつ出ていますが、高値で取引されています。いくら離島の五島でも情報はいくらでも入って来ます。ふむさん、これでよろしいでしょうか? -- [[五島の平茂晴]] &new{2014-03-31 (月) 22:49:21};
- 鹿児島県現在のスーパー種雄牛(益華福)http://373news.com/modules/pickup/index.php?storyid=55882 -- [[これでしょう]] &new{2014-04-05 (土) 17:49:50};
- ●記録に残る但馬牛
 古事記には「天日槍(あめのひぼこ)が朝鮮から牛を伴って日本に渡来し、但馬出石に住みついた」と記されています。また、続日本書紀には、「但馬牛は、耕運、ばん用(車ひき)、食用に適する」とあり、「国牛十図」にも但馬牛の優れた体型、特徴、性質が記されるなど、但馬牛は古くから優秀牛としてその名が残っています。戦国時代、豊臣秀吉が大阪城築城の際にも、優れた役能力に「1日士分」を与え誉め讃えたといわれています。

●但馬の風土と人が名牛を育てる
 現在では、使役することはなくなり、繁殖用として飼育されています。但馬牛の優れた特質は、長年にわたり、他との交配をさけ、改良に改良を重ねて受け継がれた優良な血統から生みだされました。
 前田周助(1798~1872)は、香美町小代区に農家の長男として生まれ、牛飼い坊主と村人からいわれるほどの牛好きで、良牛小代牛の血統を固定し、名手を育てることに財産をつぎこみ、妻子と別れてまで熱中しました。こうして周助の生み出した牛は「周助蔓(づる)」といわれ、今の「但馬牛」の系統の基礎となりました。
 また、但馬牛を飼う但馬の人々は、牛を家族の一員として一つ屋根の下で共に寝起きして、雪深いきびしい風土に生き、温和で姿美しい但馬牛を大切に育ててきました。但馬牛の血統の良さは 、神戸牛、松阪牛など、全国和牛の改良用素牛として活用されています。

●但馬牛の特徴
1.資質が抜群によい
 毛味、色味、骨味が良く皮は薄く、弾力ゆとりがあり、
 品位に富み体のしまりが良い。
2.遺伝力が強い
 全国の和牛改良に広く活用されている。
3.肉質、肉の歩留りがよい
 肉の味がよく、骨が細く皮下脂肪が少ない。
4.長命連産で粗飼料の利用性が良い
 長命連産。山野草を好み、古来より
 「但馬牛は、山でつくり、草で飼う」といわれています。●生い立ち
 美方郡香美町小代区に生まれた前田周助の幼年は、「牛飼い坊主」といわれたほどの牛好きでした。長じてますます牛を愛し、鑑識力に優れ、資財をなげうって、数々の良牛を買い求め続けました。
 彼の評判を伝え聞いた兵庫県養父市吉井に住む大博労(だいばくろう)孫左衛門が、はるばる前田家をたずね、その牛を一目見て優秀なのに驚きました。孫左衛門の啓発と援助によって、当時但馬唯一の牛市場であった養父市場に進出しました。周助の取り扱う牛は値段が高いのにかかわらず、飛ぶように売れたので、周助の名とともに小代牛(おじろぎゅう)の名声はますます高くなりました。

●人生をかけた但馬牛の改良
 弘化年間、村岡藩主の助力を得て、村岡に臨時の牛市場を開設しました。小代牛の基礎と販路の見通しをつけた周助は、いよいよ念願とする良牛の固定化に向かって動き出しました。しかし、これが至難の業で系統牛となる良い牛の中の良い牛を探し求めて数年間、東へ西へと走り回りました。その間に多額の借金をつくり、家族から見放されてもひるみませんでした。
 100年に一度かもしれないという良牛、香美町村岡区の三歳メス牛を手に入れ、飼料の吟味から一切の手入れ、特に繁殖には長年の経験を結集して努力した結果、年々続いて良い子牛を産み、遺伝力も優れており、ここに「周助ツル」の開祖ができあがりました。

※博労(ばくろう)とは
 馬や牛の売買や中に入って世話をする人
※ツル(蔓)とは
 すじ、系統、類のこと。-- [[前田周助]] &new{2014-04-05 (土) 18:19:15};

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